メモ 8月15日

本稿では、ただ疑問に思ったことや思いついたことを記すだけで、なんの脈絡もない。

 

スマホを開発した人は世界征服をしたのと同じことをした

 

なぜ赤色は強調されているように見えるのか?

―波長の長さが長いから?

 

―本能的に赤色は注視すべきだとインプットされている?

 

自分の理想が現実になったように錯覚させる方法があれば、幸せといえるのか?

 

個性と病気の違いはなになのか?

 

マナーは自分がかかわる必要があるかどうかの判断基準

 

数字が存在するための条件は?

 

環境が人を形成するのであれば、同じ人格を作り上げることは可能なのか

 

歩道でブロックでできているものの配置は、どのように決まっているのか

 

信号機の色が変わる間隔はどのように決定されているのか

 

信号機、街灯産業は安定的に収入が得られる?

 

自動運転用の信号機を開発すれば、大きな利益が得られる?

 

手相診断というものは、母体数が多いデータを情報源としているのであれば、ある程度の信頼度はみこめる?

 

指紋はどのようにつくられているのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての生物は同じ空間、時間には生きていない

「生物から見た世界」という本を読んで、考えたことについて記していこうと思う。

なお、本稿は本の紹介ではないため、本の詳細な内容については書かず、思索したことに関連する部分のみ記述をする。

 

「生物から見た世界」は、すべての生物は同じ時間、空間には生きていないということの論証であるといえると感じた。

 

すべての生物は、環世界の中に生きている。

環世界というのは、シャボン玉のようなものである。

環世界は、生物が有している知覚世界と作用世界から成るために、単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応している。

 

環世界というものは、理解しにくい。

そこで、マダニを例として考える。

マダニにとっての知覚標識の担い手は、光覚、酪酸の匂い、温度感覚の三つである。

知覚標識から得られる情報から知覚世界は形成されるため、マダニにとっての知覚世界は、光、酪酸、温度によって形作られるということである。

 

ここからは、自身で思索したことについて述べる。

知覚標識の違いにより知覚世界が異なるというのは、人々の考えが多種多様である仕組みと似通っている。

 

そのことは、知覚標識を人々が有している各々の価値観に互換すると、分かりやすい。

人は、おおくのことを知覚することが可能である。

しかし、物事を判断するときには、知覚できるすべての情報を利用するのは難しいために、自分の経験に基づき、判断基準となるものを無意識的でも絞っていく。

判断基準が絞られると、知覚世界の彩りが失われていくように、ひとりひとり異なる世界が形成される。

 

自分の世界で最善な案を提示したとしても、他の世界では当然最善であるとは限らない。

このことが他の人に自分の考えを伝えることの難しさを表現している。

 

 

 

Jakob von Uexküll/Geroge Kriszat, Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menshen, 1934; 1970

 

 

 

 

 

はじめに

まずはじめに、本稿の第一の目的はインターンのための練習であるということを認識していただきたい。

内容としては、タイピングの練習に適している「自身が思案したこと」について、記す。

しかし、明確に定義したわけではないため、変更する可能性もある。

 

「自身が思案したこと」を読んでいただくにあたって注意すべきことがある。

それは、記す「自身が思案したこと」の真偽について、傾注していないということである。

真偽について、注目しないのには三つの理由がある。

 

一つ目としては、はじめに表記してあるとおり、本稿の目的はインターンのための練習である。

タイピングや文章を書く練習を目標としているため、物事の真偽について考えることを重要視していない。

 

二つ目としては、筆者自身が浅学であることを重々理解しているからである。

浅学である筆者が、論じる物事についての真偽は意味をなさない。

 

三つ目としては、物事には多面性があるためである。

立場や視点によって、真偽は異なる。

したがって、真偽という二元論では論じえない。

 

最後に、若輩者である筆者が書いているために、稚拙な文章となっていることについて、何卒ご勘弁いただきたい。