すべての生物は同じ空間、時間には生きていない
「生物から見た世界」という本を読んで、考えたことについて記していこうと思う。
なお、本稿は本の紹介ではないため、本の詳細な内容については書かず、思索したことに関連する部分のみ記述をする。
「生物から見た世界」は、すべての生物は同じ時間、空間には生きていないということの論証であるといえると感じた。
すべての生物は、環世界の中に生きている。
環世界というのは、シャボン玉のようなものである。
環世界は、生物が有している知覚世界と作用世界から成るために、単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応している。
環世界というものは、理解しにくい。
そこで、マダニを例として考える。
マダニにとっての知覚標識の担い手は、光覚、酪酸の匂い、温度感覚の三つである。
知覚標識から得られる情報から知覚世界は形成されるため、マダニにとっての知覚世界は、光、酪酸、温度によって形作られるということである。
ここからは、自身で思索したことについて述べる。
知覚標識の違いにより知覚世界が異なるというのは、人々の考えが多種多様である仕組みと似通っている。
そのことは、知覚標識を人々が有している各々の価値観に互換すると、分かりやすい。
人は、おおくのことを知覚することが可能である。
しかし、物事を判断するときには、知覚できるすべての情報を利用するのは難しいために、自分の経験に基づき、判断基準となるものを無意識的でも絞っていく。
判断基準が絞られると、知覚世界の彩りが失われていくように、ひとりひとり異なる世界が形成される。
自分の世界で最善な案を提示したとしても、他の世界では当然最善であるとは限らない。
このことが他の人に自分の考えを伝えることの難しさを表現している。
Jakob von Uexküll/Geroge Kriszat, Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menshen, 1934; 1970